こんにちは、haggyです。
広島の代表的な観光地の1つ、原爆ドーム。
・怖い
・心霊現象が起こる
という声をよく耳にします。
訪れる前に「大丈夫かな?」と不安になりますよね。
実際に原爆ドームと平和記念資料館どちらも訪れたので、その時の様子を紹介していきます。
国内・海外問わず旅行が大好き。
旅先で撮った写真は宝物。
霊感はあまりないのに、心霊体験は多くしている。
旅行を通じて得た情報をシェアしたくて記事を書いています。
原爆ドームや平和記念資料館は怖い?実際に訪れた様子
もともと広島県産業奨励館(しょうれいかん)という建物だった原爆ドーム。
簡単に原爆ドームの歴史を振り返ると、
大正4年(1915年)に広島県物産陳列館としてオープン。(原爆投下の30年前)
広島県内の物産の展示・販売、美術展や博覧会の会場として利用されていました。
大正10年(1921年)、広島県立商品陳列所に改称。(原爆投下の24年前)
昭和8年(1933年)、広島県産業奨励館に改称。(原爆投下の12年前)
戦争が激しくなるにつれ、物産や展示物は縮小していきます。
昭和19年(1944年)、広島県産業奨励館としての業務が廃止。(原爆投下の前年)
代わりに、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社など、官公庁や統制組合の事務所として使用されていきます。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、原爆が投下されると、
広島県産業奨励館は、爆心地から約160メートルという至近距離で被害を受けました。
爆風と熱線により大破し全焼しますが、中央のドーム部分や枠組み・外壁を中心に建物が一部残ったのです。
一面焼け野原の中から中央のドームが目立ったことで、市民から「原爆ドーム」と呼ばれるように。
そして、原爆の凄惨さを世界に伝えると同時に恒久的な平和を目的に、広島平和記念資料館が作られました。
原爆ドーム付近では当時、多くの方が亡くなり苦しんだ場所。
では原爆ドームや平和記念資料館は怖いのでしょうか。
私が訪れた感想は、
原爆ドーム自体に怖さは感じませんでした。
車や人で行き交う道路沿いに建っているので、まるで日常の一部のよう。
私が訪れたときは快晴で清々しい空気感があったため、負の爪痕を感じられませんでした。
路面電車を降りて顔を上げた途端原爆ドームが視界に飛び込んできたので、
「あ、これが原爆ドームか!」
とハッとするまでに少し間があったほどです。
では平和記念資料館はどうでしょう。
平和記念資料館を訪れた方の中には
「その日の夜ご飯が食べられなかった。」
と言う方もいます。
結論、
人による
です。
特に資料館では原爆に関するものなので、
・苦しむ方の写真
・原爆が投下されたときの描写
・遺品
などが展示されています。
写真と共に、「外で作業中に亡くなった」など、その方がどういうシチュエーションで亡くなったかという説明もあります。
これらの展示を見て怖いと感じる方もいますし、展示の情報から状況を想像して気分が悪くなる方もいるでしょう。
泣いている外国人観光客も見かけました。
しかし、怖くないとしても
間違いなく言えることは、様々な感情を抱く場ではあるということ。
「グロい」という表現を用いる方もいます。
確かに顔が腫れた方の写真など、目を背けたくなる展示も。
個人的には広島平和記念資料館の展示に対して「グロい」という言葉を使うことに違和感があります。
亡くなった方々は、ただあの日あの場所で日常を過ごしていただけ。
朝ごはんを食べる、仕事や学校へ行く、洗濯をする・・・
私達と何ら変わりません。
好きで奪われた命ではないのに、本来なら私達と同じように人生を歩んでいくはずだったのに、
「グロい」という言葉で表現されるのは自分だったら悲しいし悔しいと思うはず。
私は怖いという感情はありませんでしたが、悲しみや怒りなどのマイナスの感情は抱きました。
亡くなった方々は、あまりに一瞬の出来事で何もわからず亡くなっていったのかもしれません。
しかし命を奪うということは、その人の人生や夢、楽しみ、楽しい時間、日常を一瞬で無にしてしまうこと。
資料館で展示されている遺品や写真からは、奪われた人生の無念さも感じました。
様々な感情を抱きながら建物を出ましたが、
平和記念公園内ののどかな風景や川が流れる広島の美しい街並みで中和されました。
原爆ドームを含めた観光情報や周辺スポットについてまとめた記事もあるので、旅行プランを立てるうえで参考にしてみてください。
こちらもCHECK
広島 | 原爆ドームや資料館の観光情報と周辺スポットを徹底解説
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続いて気になる心霊現象についても触れておきましょう。
心霊現象はあった?
よく原爆ドーム周辺で写真を撮ると「心霊写真だった。」という話を聞きます。
・原爆ドーム上空を多くの人が歩いていた
・気分が悪くなった
・涙が止まらなくなった
などの話もよく耳にします。
な〜んで原爆ドームが心霊スポットになるんだよ?市内で沢山犠牲者出たところは他にあるだろ…と思ってたら
見える人から「いや
ホントに居るんよ…うち見たけど、被爆者じゃなくて比較的新しい年代の服装の女の人が窓から見下ろしてたんよ…」と言われて心底ビビってる— 加賀水 暁 (@KAGAMI_AKIRA01) September 10, 2022
そーいや昔、広島の原爆ドームを写真で撮ったら、心霊写真撮れたんだっけ。あとは、写真いっぱいのオーブとかね。
— 鼬やんきー@童子 (@nhba_ss) March 31, 2021
確かに原爆投下で広島では約14万人が亡くなったと言われており、中でも原爆ドームは爆心地からかなり近い場所。
多くの方が亡くなった場所でもあるので、心霊の話が出るのも無理はないのかもしれません。
私自身、霊感はほとんどないですが、心霊体験は何度かあります。
例えば、
・父親が亡くなる前に撮った写真にオーブがいくつも写っていた
・祖母が亡くなった際、親族が言い争いをしていたら祭壇のロウソクが急に激しい炎をあげだした
など。
そのレベルの体験をしている私が広島を訪れた際、
原爆ドーム付近や資料館でも心霊現象はありませんでした。
気分が悪くなるのも、心霊現象というより資料館での展示を見て被害に遭われた方の無念を想像してのことだと思います。
先ほど「広島平和記念資料館の展示に対して「グロい」という言葉を使うことに違和感がある」と書きましたが、
心霊スポット扱いすることに対しても個人的には違和感があります。
霊感が強い人が訪れて何かが見えることもあるのかもしれません。
確かに突然命を奪われた人が、無念さから周辺をさまよっているのかもしれません。
しかし、そう考えれば考えるほど「心霊スポット」と扱うことに心苦しさを感じるのです。
広島で原爆ドームを心霊スポット扱いするとか、そんなん市内のそこら中が心霊スポットになるわ
— フラバー (@flyingbird1124) January 26, 2023
ほんとに慰霊の森とか原爆ドームとか不慮の事故や事件で大勢の方が亡くなった場所を心霊スポットって言うのやめてほしい 人の心が無いんか??
— よぞ (@on_onnu) June 29, 2021
広島の絶対に行っては行けない心霊スポットとかあるけどそれまではいいんよ
原爆ドームをそこに掲載するのは不謹慎にも程があるのでは?
原爆ドーム含めた被爆建物は学ぶ建物だわ
そこを忘れるな— 広島ゆっくり鉄道🎏@ありがとうございました! (@tetuhiro227) January 20, 2023
原爆ドームや平和記念資料館は、原爆の凄惨さを伝え未来永劫の平和を願って存在しているもの。
心霊現象よりも、訪れることで「突然命を奪われた方々の無念さをくみ取り、平和について考える場所であってほしい」と感じました。
ちなみに原爆ドームへは高校の修学旅行でも訪れています。
集合写真や友人と写真も撮りましたが心霊写真の類は無かったし、周りの子も心霊体験をしたという話は聞きませんでした。
まとめ
今回は
・原爆ドームや平和記念資料館が怖いのか
・心霊現象はあるのか
について、実際に訪れたときの様子をお伝えしました。
原爆ドームの取り壊しを求める声も多い中、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続けるため、保存することが決定。
その後、4度の保存工事を経て現在に至るわけですが、何も知らないまま訪れると
「有名な観光スポット、原爆ドームに来たぞ。」
のみで写真だけ撮って通過してしまいますが、
少しでも歴史を知っておくことで、訪れた際に見る視点が変わってきます。
個人的な感想は、
原爆ドーム自体は怖くないけど、平和記念資料館は深く考える場所でした。
原爆が投下され戦争が集結した1945年から78年が経ち、戦争が遠い世界のように感じるかもしれません。
しかし、原爆ドームは確実に戦争のむごさを無言で語りかけてくる、戦争の悲惨さをリアルに感じられる場所でもあります。
心霊現象よりも、平和について考えてみてはいかがでしょうか。
原爆ドームのすぐ近くには、「おりづるタワー」という平和への願いを込めておりづるを折る体験もできます。
実際におりづるを折った体験談もあるので参考にしてみてください。
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素敵な広島旅行になりますように。
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